一万歩連日記録は19日で終わり

続けることで何かを生み出せるかと思い続けてきたが、疲れが貯まってきたのか、肉体的にも精神的にも、ついに破綻がやってきた。

天気のせいとかもあるかもだが。

このところ梅雨模様で気分的にも難しいところであったのが、この前の火曜日だったかな、久しぶりに晴れて、それで午後になって、日差しを求めて、日向を選んで、ウォーキングに出たのであった。

それはそれでとても気分も良かったのである。

ところが翌日になって様子が変わってきた。

野暮用で出かける予定もしていたのだが、朝起きもつらい調子だった。

何とか起きたのだが、天気は雨。

それでも、傘を差してでも出ようとしていたのだが、でも、だるさもあって、くじけてしまった。

おまけに野暮用も、義務感のあるものでもないし、単に出かけるための言い訳のようなものであるから、どうでもいいものでもあるし、なんて考えていたら、やめることにしてしまった。

そして一日、力の出ない過ごし方をしてしまった。

次の日もなかなかに調子が上がらない。

連日記録も途切れてしまったことも心理的に支えを失ったようなもののように、どうでもよくなってしまった。

連日継続することに意味があると思っているのだが。

昨年も夏から秋にかけて、たしか99日間の連日記録を行ったことがある。

そのときは風邪のようなことで記録が途切れ、そしてだんだんにどうでもよくなってきて、身体的には、踵が痛いとかがあって、寒さとともに体調も低下してきて、やはりいくら鍛えようとしても年齢には勝てないのだなとか思い低調の期になっていた。

それではいかんと、このところの復活であったのだが。

やはり難しいのだな。

 

でも、また天気が変えてくれた。

昨日、またまた晴れで、夏のような、でも湿度が軽く気持ちよい日になったのだった。

で、今度は自転車に乗ってこようと考えた。

ことらも久しぶりではあるので、変に筋肉痛などにならないように、軽く、気軽に、のんびりと、乗り回してこようと考えた。

のんびりした走りでぶらぶらとしてきた。

途中で昼食を挟み、3時間ほど走ってきた。

気分良かった。

 

そして帰ってから、部屋での過ごし方を考えた。

炬燵テーブルで畳に座る生活は良くないと、常々考えていることではあるのだが、なかなかうまい改革が出来なくて。

クッションを組み合わせて、椅子のようにしたり、すると、テーブルが低くて姿勢がおかしくなるから、今度はテーブルを高くしようとか。

炬燵テーブルには継ぎ足があるので付けてみた。

これでは普通に畳に座ってるとテーブルが高すぎて具合はいまいちなんのだが。

それでテーブルの上にさらに簡易テーブルようなものを考えたり。いろいろ。

でもやはりうまくない。

 

それで、今回は、同じ部屋に机があるのだが、子供たちが学校のころ、使っていて、今は使ってなくて物置にしている。

だからこれを活用しようと昨日は少し片づけをして、そこでパソコンとかをやれるようにしたのである。

畳の部屋だから、そして狭いから、椅子も難しい。

昔はパソコンデスクに、そして椅子は、ひじ掛け付き、背もたれ、リクライニング可能、な椅子を使っていたこともあった。

ところで、割り込みだが、今、これを書きながら、いる。6時49分。

さきほどラジオ体操をやって、今は朝食をしながら、家内が作ってくれた、それを机のわきに置いて。椅子座りで、なかなかいい。

別の話だが、少し前から、この見てるパソコンの、今書いてる、入力されているカーソル辺りの文字を見てる訳だが、ちょうどその辺りがチラチラしてて、ちょうどみようとしている文字が見難いのだ。

何か変だなと。

これも以前に何度か経験したことのある、目の異常かと、でも少し違うかな、なんて思っているうちに、やはりその症状になってきた。

(そのことも書いておかなくちゃ、と、割り込んでそれを書いてるのであるが、こんなことしてたら、元の話から逸れて、反れて、めちゃくちゃになってしまう。でも書かないと、そのときに、そのときに。)

と言っているうちに、その目の異常は、どんどん変化して行ってる。

今、視界を外れてしまったくらいになってる。

と言ってるうちに、いや食べたりしているうちに、それらは視界から外れて消えてしまった。

だけど、視界から外れて見えなくなっても、

実は実際に外からの光で見えるのではなく、内部でそのような認識をしているものである。だから、これは目を閉じていても見えるもの。だから見える、と言うのは違うのかもしれない。目が、視神経が、脳が、感じているもの、と言えるかも知れない。それが拡大して、感じる範囲を逸脱してしまったような。

まるで、パソコンのウインドウのサイズが大きくなったときに、限られた大きさの実際のディスプレイ画面からはみ出しているような関係か。

と、視界に感じなくなっても、まだそこに存在することを感じるものがある。

そのうちに、なんでもないことになるのだが。

 

以前のときに比べ、今回のは、発生から、進展、そして消滅まで、時間的に短かったように思った。

以前のときは、視界に感じる段階だけでも30分ほどはあった。今回は15分くらいと半分くらいのようだった。

(と割り込みで書いてしまった。本当はテーマを分けて、それぞれのことを書きたいとも思うのであるが、そのときに書かないと、後から書くのでは何かが違ってしまうような気がして。つまりは忘れてしまうことを気にしてるのかも。)

 

さて、戻して、どこへ、ん。

椅子、だな。

とりあえずは(とりあえずはそのまま永続的なこと、いろいろそんなことばかり)台所食卓用の木製の丸椅子、これを持ち込んで使う。

表面が木で固いので、場合によってはクッションを当てて使う。

なかなかいいではないか。まあまあコンパクトで、寄せてしまえば邪魔も少ない。

部屋の少し高いところを見たりするときには踏み台としても重宝するし。

 

と、なかなか調子は良い。今のところだが。

畳座りはズボンの張りやらしわとか気になりながら、足自体も窮屈で疲れることを考えると、椅子座りはなかなか良い。

そう、思いながらなかなか出来ずに来てるのだが、これには季節のことやらが関係してる。

寒いときは難しいのである。

部屋暖房と言うわけにもいかず、椅子座りでは足が身体が冷えてしまう。

暖房のメインは電気カーペットと炬燵。だからベタっと座り込んでしまう。

そしてそれはそれで気持ちのいいもので。

だけど、そこにも落とし穴がある。

座り続けるせいかそのうちに疲れて横になりたくなり、寝てしまったり、そして鼻アレルギーのようなことから風邪症状になってしまうことが、これまで長い間に、幾度も幾度もあった。

仕事で疲れてとか、そして飲んできて、帰りついて炬燵に入り込むと安心して眠ってしまう、そんなことがよくあったものだ。真上には電気が、照明が、ギラギラと、閉じている瞼の上から、閉じて眠ってはいるものの、変に刺激しながら変な睡眠になり、そして深夜に目を覚まし、冷えた風呂に入る。そんなことしてたら風邪はすぎに憑りついてくるね。

 

家の構造上、和室だから難しいのだが。ソファーとかなら違うと思うけどね。

それもよく考えるのだけど。

家具は足が付いてて、これが洋室向きだからそれを畳の部屋にすると、その足が畳に食い込んでいく気がして、つらいのだ。

それにスペースの問題。

 

だから、今回は、そのような状況のなかでは結構良い状況にしてきてるかと思う。

もうひとつ気になるところは体調の問題。環境と体調、どちらが先か、と堂々巡りだが、この両方が伴わないと難しいと考えている。

暑さ、寒さ、部屋の使い方等の環境のことのほかに、それを使いこなすか、耐えられるか等の体調のことがともに満足しないと続かないのである。

椅子に座るのも体調が良くないと続かない。

お尻が痛くなると畳に座りたくなる。

 

あともうひとつ、思っていること。

それは、今はやり、のような、「低反発クッション」のこと。

これにはやられている。

一見、だけではなく、一触、だけではなく、少し使う、にも優れものと思われることだ。

しかし、しかしだ。

大きな問題のあることに、やっと気づいたのである。

座るときの高さを調節したいために、薄いのや厚いのや、それらを組み合わせて厚さを調節しようとか、結局はそんなクッションをたくさん買い込んでしまった。

お店ではクッションとかはほとんどがこの低反発ものなのである。

ところが、このクッション、実はクッションの役目をしていないのだ。

と言うと反発されるかも知れないが。

低反発だから、名前が恰好よいけど、実は「反発が少ない」のだ。

だから少し強い力を受けると反発出来ないのだ。

反発出来ないから、ズーッと押されて、そしてぺちゃんこになってしまう。

これを何枚重ねてもどんどん薄くぺちゃんこになってしまう。

だから厚みを維持する目的にはそぐわない。

これを知らずに、感触が良い、だけで買ってしまう。

始めは良いが、すぐに、どんどん潰れてしまう。

これにはあきれてしまった。

そして昨今、お店には、この低反発ばかりなのである。

クッション性を持って厚みを持たせたいと、いろいろ買って、ごろごろしてるがどれも中途半端だ。

 

そして、これに関してもうひとつ言いたいことは、この低反発クッションのスツールとかは、座っていて不安定になり、結果、疲れにつながることがわかった。

固い感じの丸型スツールで、これなら固くていいだろうと思ったものだが、座っているうちに、疲れるのだ。

座っているうちに、さらに徐々に沈み込み、斜めに傾いてくる。それを身体が調節を強いられる。これが意識しないながらも疲労につながることのようでもある。

まったく、世の中、難しいものである。

 

なんだかだと、してるうちに、途中で、テレビの朝ドラを見たり、とかもあって、どんどん時間が過ぎ、もう8時を20分ほど過ぎてしまった。

保存をしよう。