今日の予定は先延べになり、内心はホッ

昨日の話では、今日の夕方に予定なりそうだったが、先ほどの連絡では未だ予定も決まらないようなことであった。
話としては未だ継続してることで、また連絡あるだろうが、いずれにしても週明けになるとのこと。
先月は、話だけであちこち、あれこれ、としていて何だかんだで日が過ぎてしまった。
一時は期待できそうなこともあったのだが、結局は一つも取れずに終わった。
やはり無理かなとか、それならそれもいいなとか、心の複雑な動きを持ちながらいたら、また話があって、また心をかき乱すような状況になっている。
前回はだめだったが、同じ商流ルートで、紹介が入って、営業さんも頑張ってくれている。
うれしいことではあるが、心はいつも同じではなく、どんどん変化しているように感じる。
条件は良くないし、本当なら遠慮したいところではあるのだが、そうも言えないし。
また面談とかは緊張するし、先がどうなるかわからないものを、時間と体力の無駄、心身の摩耗のようでもあり。
まあ、しかし、こういうもののあることは、別の意味で、意味はあると思っている。
心神への刺激として。
ストレスとも言われたりするが、適度なストレスは必要と言うように、少しは血の昇るようなことも必要で、適度であれば身体にもいいと思われる。
一人で何もしないでいたら、誰とも話すこともないだろうし、それを思うと、初めてのところで、初めての人と、いろいろ話が出来ることは、なかなかに出来ることではなく、貴重なこととは思う。
勉強として、研修として、そして実践として、貴重な機会だと思う。
実際に、このところ、いろんな話の過程において、いろいろやってきた。
今年だけで、いろんな話があったり、いろんなところに出向いたり、いろんな人と会ったり、短い期間だが実務に就いたり、短い期間だからこそまた次のための話としてこの行動が続いているのだが、考えてみれば、この仕事をしてきて、こんなに変化に富んだ状況は無かった。
話だけでなく、実際に出向いた場所もいろいろたくさんになった。
台場にも行ってきたし、浜松町で実務、その後、千葉ニュータウンにも行ったし、大森も、そして次が光が丘での実務、その後、御徒町豊洲、田町、と行っただけでもいろいろあり、その関連でもいろいろあるし、話でけでもいろいろあったりで、通勤経路を調べたり、実際と仮想とでいろんなところに行ったりしたようなことであった。
いろいろ初めてのところに行ってみるのは元来好きなことであるから、ある意味では楽しみでしているようなところもある。
しかし、そのために交通費はかかるし、食事代もかかるし、時間も体力も費やすし、なのにそれをカバーしてくれるものが一切無いことはつらいことである。
これが先行投資として取り戻すことが出来るのならいいのだが。
これらのこと、経験が、先々に役立つのならいいのだが、そんなこんなしているうちに、年月が経ち、年齢的になおさらに厳しくなることを考えると、投資だけで終わってしまいそうな懸念というか、不安というか、が心に襲ってくるのである。
実際にも、こうしているうちに、先日誕生日を超えてしまい、また年齢に1歳上乗せをしてしまったのである。
(先日の別案件のときなど、年齢詐称まで強要というか、受容したこともあり、結果は成立せずだったのでその後の展開はなかったが、もし成立での場合は、自分はかなり若返ることが強要され、それを演じることになっていたことを思うと、ゾッではあるが。そんな状況であるのにまた歳が増えてしまったことは。)
だらだら書いてきたが、書くことには体力とともに結構な時間を要することが、書くことの意味とつり合いを考えたときに不満を覚えるのであるが、独り言を言っても残るものがないし、誰かに話すと言っても、こんなことを聞いてくれるものもいないから、たとえ居たとしても人形ではないのだからこちらの勝手なペースで出来るものではないし、逆にそれが人と会話することの価値のある意味とは思うが、それがなかなか出来ないことに対して、自分で書いてみることには何か意味がありそうに思っていて、このブログとかを続けているのかと。
これもいったい何を書きたいのか、何かもやもやあるのだが、それに到達できないもどかしさである。
それを表さないと、これを送信するには何かが足りないし、意味がないように思うのである。
そうだ、題名を思い直すことなのだな。
先ごろ。題名を付けることが難しいことを書いたが、何か今思ったのだが、そんなときのためにあるのかと、思ったのである。
迷ってふらふら漂っているときに、本来行くべき目標を示してくれているもの、それが題名かも知れないと。
そうなのだった。今こんなことをだらだらと書いていられるのも、気持ちがそのような状況にあるから。
それは今朝連絡があって、今夕に予定されそうなことが先延べになったことで、緊張が取れてホッとしたことのようである。
それで、今日はどうしようかと思うのであるが、出かけるのもどうしようかなとか、のんびりしようかなとか、なんか気が抜けたようになっていることでもある。
なんか複雑な気持ち。
多分、そんな気持ちを何とか表すことが出来ないかと試しているようなところもある。
作家の才は無いから、それも出来ないし。まあ、そんなではないにしても何かを表すことをするのはいいと思ったり。
そうは言いながら、ブログでそんなのはどんなものかと考えたり、これまた心理は複雑。
パソコンキーボードの練習材料でもあり、何を入力するかを頭の中で準備することの頭の体操のようなものであり。
と、あえて、段落を見やすくしたりせず、思ったことをそのまま流し読みならぬ流し書きをしてみた。
わざと、あまり読みやすいようにならないように、しているようなもの。
いやはや、読み直す気にもならない。
ここで一段落としよう。