打つのに面倒な携帯電話を使う訳

携帯では打つのが面倒で、30分ほどかけても大した量を書けないのに、自分はほとんどが携帯からの打ち込みで投稿しているのが実際である。
家ではいろんなやりたいことやるべきことがあり、こんなブログなんかに構っていられないのだな。(ブログなんて所詮そんなもの。現実には大した価値のないものか)
それが通勤の電車の中だと何か違うのだろう。
ほかにすることがない、のはまず一番の動機かも知れないが、余計な邪魔なものがないからかも。
誰かと一緒にいるなら、そちらを優先するだろうし、自分だけの世界には入れないことか。
人がいっぱいいるけど一人ぼっちの狭い世界、それが通勤電車か。
だから自分だけの世界でいろいろ考えることができる。

そもそも入力の面倒かどうかも問題ではなく、思考の違いかな。
小説も携帯で入力した方がうまく書けるとか、考えがまとまりやすいとか聞いたことがある。
自分もなぜと思ったりしたが、そんなところなのかも知れない。
通勤電車の中だからこそ、自分の内面のことが考えられるのかも。