やはり脈拍数も少なくなっている

手首で脈拍を測ってみた。
案の定、少なくなっている。
始めの10秒くらいは60くらいのまあまあのペースかなと思ったがすぐに落ちてきて、30秒では24回、そしてその続きの30秒では22回。つまりその1分では48回と少ない。

このところは、そんなに遅いと感じることも少なく、だから測ろうとも思ったりしなかった。
でも大体は60回ほどのペースであることは、たまに確認、認識していた。

スポーツをすると脈拍が少なくなるのか。
スポーツ心臓なる言葉がある。
これは肉体が鍛えられることにより、少ない脈拍数でも体調を維持できることを表すのだろう。
そうでなければ激しい運動をするときに、身体がより多い酸素を必要とし、そのためにどんどん血流を必要とするために、心拍数を上げるというのが身体に仕組みであるはず。

それであるならば、自分は少ない脈拍で身体を維持してることになり、効率的な身体と喜ぶべきことなのかも知れない。
そして、それなら、激しい運動には身体が耐えられるようになっていて、マラソンなんかで有利な身体になっているとか。
それならばうれしいのだが。
実際にはそんなものでもないし。
それなのにそれに近い形で脈拍が少なくなり、挙句の果ては、と言っていいかわからないが、それでも多すぎると言うのか、間引きまで始まるとは!

いったい何を考えているんだ、この自分の心臓は!
そのコントロールする神経か、脳か?

これよりひどいとどうなるのだろうか?
なってみないとわからないことであるが。
(なってみて、その様子を教えてくれるといいのだが。そのまま命まで落としてしまった人は、その経験をだれに語ることも出来ないので、結局、わからずじまいなのである。これが人類のさだめのように)

あきらめであるが、何か考えられないか。
せめて、そのような状況を書き残すことに意味があるかも。
これをブログに書いてることに何らかの意味があるかも、と思う。
(単なる、自分の思い込みだけかもだが。)
勉強してみること。
これは既存の知識を見るものだが、既存で果たして知られていることなのか、そこが疑問だから、たいして意味をなさないのでもある。
だから、自分を観察していくこと、記録していくこと、そして試していくこと。

これから、休養することもひとつの実験だし。
ジョッギングを続けてみるのも実験だし。
病院に相談することは、あまり別の負担ばかりで、期待は持てそうにないので、これはだめだな。

ちょっと落ち着いているような。

また脈拍を測ってみた。
46回
やはり少ない。
でも調子は安定している。
左手首で測ったが、脈は弱弱しい。

先ほどは、リポビタンDを飲んだ。
これもひとつの実験だし、ひとつの支えだし。

この数日、DSの「脳トレ」なるものをやったりしている。
それから昔、動体視力を鍛えるなんてことで、目を速く動かすことをしたりしたことが関係ありそうな気がする。
(視点を別の場所に移動するとき、新聞を読んでいるときとか、そんなときに異常を感じるように思うことも。)
富士山に2年続けて登ったことがあり、そのときの息遣いの苦しさが、平地でもちょっと登り坂があると、同じような息遣いになったりすることとか。
パソコンを長く使用していること。これは現代では、とくに業務としては、ごく当たり前になっているから、そして昔のブラウン管式ではなくなって液晶ディスプレイになっていてそれほど負担は感じなくなっているから、それほど負担ではなくなっている。それより何よりパソコンに向かわないと仕事にならないような環境になってきているのである。
家でも同じようなことになっていて、さすがにこれは影響ありそうなことではある。
さらに、パソコンでインターネットで、株の動きとかをリアルタイムで見て追いかけるようなことをしていると、心理的に大きな影響が残ると思っている。
特にニューヨークダウの動きは1,2秒ごとに変化するので、それをじーっと見てることは、精神的に疲れるし、心理的に負担になると思う。実際にある時期、自分もそれをしていて、精神が不安定になったと思ったこともあった。
いろいろ気を付けないといけないことがいっぱいだな。
気になることを並べてみると、いろいろあり。