久しぶりのジョッギングで、不整脈が再発!

てきめん、と言った感じではある。
走ったりすることが症状発生につながるような感じはしていて、この数年、控えていたところではあったが。
試しのこともあり、運動不足の懸念もあってのことであるが、やはり走ることをしてみたのだった。
昨日の夕方、別所沼公園まで徒歩でかるく走る感じで。
そして1週約1キロのトリムコースを、ゆっくりであるが、1週を6,7分かけて、そして4週したのであった。
それを終えてから、息を整えていると、何となく気になる感じがしてきたのだった。
やはり、それかな、と思った。
そのときはそれほど大したほどでもないのだったが。
その後、帰ってからとか、時々、気になるのだ。
気にするから何だ、とかではなく、何かを感じるから、気になるのである。
多分、そんなときは、不整脈で、脈拍が休むというか、抜けるというか、そのときにふっと頭が感じるのだ。
きっと、頭に、脳に、届く血流が変化するのではないかと思う。
脈が抜けた瞬間、血液を押す力が無くなるわけだから、体中のどこも、脳も、言ってみれば、無風となるような、血液の川の流れが淀むような、そんな感じではないだろうか。
これを感じて脳が警報を出すのかも。

今朝、起きて、テレビをみたり新聞を読んだりしていると、だんだんに様子が変になってくる。
変になることの頻度が上がってくるのである。
おとなしくしていると、それに逆比例するように、発生の頻度が上がるようなのである。

いたたまれず、身体に力をいれたり、立ち上がったりすると、ちょっと気にならなくなるようなのである。
おとなしくして、呼吸も整ってきたりするといけないような。
呼吸を深くしたり、ため息をついたりするといけないような気もする。
(ため息は何にしても良くないのだね)

何か動いていた方がいいのかも。
髭剃りに向かい、その前に歯磨きをしたり、それから髭が濡れてなじむまでの間にと、シェービングフォームの缶を持って、それをシェイクする。それを数を数えながら、運動のように行う。これが意外と気持ちいい。身体へのトレーニングにもなるし。
そんなことしていると、さきほどまでの変調が気にならなくて済むのである。
どういうことなのだろう。

なんとなく、癲癇を思い出す。
それはなぜかと言うと。
NHKのためしてガッテンでだいぶ前のことであるが、視界の異常の症状のことをやっていて、脳の過敏状態のようなことを言っていた。自分も時々そんな症状があるから、関心をもっているものであるが。
それへの対処として、抗てんかん薬のようなことを言っていて、それが効くようなことを。
何も、その症状が癲癇であることを言っていたのではなく、その薬が効くことを言っていたものと理解しているのだが、どうも自分の身体が何か関係があるような感じを持っているのである。

そして、この不整脈の欠脈が連続的に起こると、くらくらの連続になり、でも完全に脈が停止ではないので、休み休み動いているような状況で、脳もまともな働きではなく、むしろ調子の狂ったことを示すようになるのではないかと。
そして、これが、ひょっとして、癲癇とかにつながることではないのか、と思うようになったのである。

自分は、これの元の症状としては欠脈の不整脈であると考えている。
しかし、病院に話をしても、まあこちらは素人の勝手な思いだから、医者もそんな軽いことしか考えていないから、そんな話にはならないのである。
医者は自分で確認したことで判断する。それは当然であるが、人の不整脈をどれだけ実感できているのか疑問なのである。
実際に自分が相談したところで、心電図の結果だけを見て、(それも、自分で計測したものではなく、別の検査の人が行った結果だけを見て)、それで見るから、そして本人は何事もなく目の前に居るわけだから、何も切迫感もなく、そのくらいは誰でも有る、くらいの思いのようなのである。
要するに、わかってくれない、本当の悩みを。わかろうとしない。わかることが難しいことはわかっているから。

もし、この症状が激しくなり、苦しくて倒れるようなことになったら、周りは医師はどのような判断を下すのだろうか?
最近よく耳にするAEDのこととは違うのであって、それは除細動器であって頻脈(脈拍が速すぎて血流が滞る)のことではないから心臓病とは思わないだろうし、それが癲癇という症状のように言われるような気がしてるのである。

自分はその元は欠脈であることを認識しているが、普通は本人でさえそんな認識はないものと思うから。
だから何か変な病気だと言うことになるような。気がする。

(とにかく思ったことを書いてみた)