今朝の日経新聞での「泰緬鉄道」を読んで

日経新聞の裏側の文化欄を最近はよくみる。同じようにそのページにある連載小説と、社会的に有名な人の自伝史を1か月連載する「私の履歴書」を読む。
今朝は、その文化欄で「泰緬鉄道」と言う言葉が気になって読んでみて、そしてさらに知りたくてパソコンでネットで調べたりしたのである。
はじめは何のことかわからなかったが、クワイ河の言葉を見て思い出したことがあった。「クワイ河マーチ」である。
第2次世界大戦中の日本軍がタイとビルマミャンマー)を結ぶ鉄道を建設に着手したこと。たぶん映画とまたその音楽もこれに関したものだろうと。
ネットで調べてみた。(今はすぐに調べられるから違うね)
ユーチューブでの音楽に当たった。それから次々に表示される昔歌謡曲に釣られて道草をして戻ってきたけど。
そして次は記事情報を見て回る。
映画のことについても、「戦場にかける橋」の原作者はフランス人のピエール・ブール。1957年に映画化。
作家は一時日本軍の捕虜になっていたことから原作を書いたこと、その内容には誤りがあること、そして映画化にはまた作家の思いとは異なるように脚本されていたことなどわかった。
また、この作家は「猿の惑星」も書き、1968年に映画化されている。いずれも植民地としていたアジアで逆に捕虜になったことからの逆転の心境を現した小説のようであったと。(実際の映画では脚本により意図とはだいぶずれてしまったようなのであるが)
新聞記事の中で紹介されている、長瀬隆という人のこともネットでも見ることもできた。元陸軍通訳をしていた方で、2011年に亡くなるまでに毎年のようにタイを訪問し、一人で泰緬鉄道の戦後処理に尽力していたという。
その鉄道は、山岳地帯を含む415キロに及ぶ敷設で、過酷を極め、連合国の捕虜1万3千人、アジア人労働者数万人が犠牲になったと。この償いに一生をささげたのが長瀬隆さんだという。

そんなことから思ったこと。
旧日本軍が連合国軍の捕虜を酷使して死の山を築きながら鉄道建設を続けたことは、旧ソ連日本兵を強制連行し、抑留し過酷な環境で労働につかせ多くを死なせたこと、その逆のこととして思われる。
その地域の支配者に従うしかないこと、そして死んでいかざるをえない人々へのやりきれなさ、理不尽を感じる。
当時の時代背景として、欧州各国の植民地支配のことも思われた。当時の東南アジアは植民地に苦しんでいたものかとか、その解放の役目を日本軍が行っていたとかも思われる。
戦争非難は当然であるが、いろいろ見ればみるほど、単純ではないと思えてくることである。