東電の情報開示に不信

東日本大震災の深刻さを感じながらで複雑ではあるが、東京電力の福島第1原子力発電所の事故を巡っては、ずうっと釈然としない気持ちで見てきたように思う。
その気持ちと状況をうまく表すことは自分には出来ないが、こんなことを感じるには何かあると考えていいと思う。
どうしても情報はNHKのテレビに頼ってしまう。
ここに何か問題があるようにも思える。
ある程度は仕方ないのだと思うが、政府と東電の広報機関となってしまっているのではないか?
民放も見たほうがいいように思うが、両方をみるわけにもいかないし。


そんな中、今朝の日経新聞の1面に「東電発表 新工程表 現実味乏しく」記事中の小さいサブ見出しで、
情報開示に不信
まさにこれなんだと思う。
(読売新聞も見ているが、ここまでの踏み込みは無い! 朝日はどうか?今は取ってないので何ともだが)

以下抜粋。

東京電力の情報の出し方は危機感に乏しい。今月15日、事故発生から2ヶ月たって1号機の炉心溶融を認めたが、多くの専門家は事故直後から指摘していた。東京工業大学の二ノ方寿教授は「東電も(炉心溶融などの深刻な事態は)従来の工程表が示された時期にはすでにわかっていたはずだ」という。悪い知らせは確認されるまで口にしない。そんな姿勢が不信につながる。
17日の記者会見で、認識の甘さを問われ、東電の武藤栄副社長は「炉心溶融は工程表に影響しない」と言い切った。首をかしげざるを得ない。核燃料がほぼ無傷なのと溶け落ちたのとでは事故の正確が違うのは明らかだ。
工程表は、菅首相が東電に作成を指示、1ヶ月で修正した。なぜ政府と東電が事故収束のため組織した統合対策室の名で公表しないのか。東電への丸投げで政府のかかわりが見えないのでは、周辺住民や国民の信頼を得るには遠い。



NHKの解説も、こうすればこんなことが出来るとか、CGを使っていいことばかり伝えている。
CGを使うのは問題だと思う。
情報伝達に1枚の写真の持つ意味の重さがある。
わかりやすいからと安易に作り物であるCGで説明してしまうのは誤った発信になりかねないと危惧しているし、見ていて何かイライラさせられるのはこの辺りに原因があるのかと思っている。
ますます、映画等で表されるSFの未来社会の管理社会になってしまっていると感じるものでもある。何かおかしくても、個人の力ではどうしようもない、人間社会。