二週間を経過、何とか壁を乗り越える

週末には進捗会議がある。これを如何に乗り越えるかがポイントだ。それなりの成果を示せるか、それともマイナス評価となるか、これにかかっていると言っても過言ではない。
初めの週は、とにかく様子見のところもあるだろうが、まあそれなりに着手したところであり、それなりの見方の程度になっていた感じであった。
そして2週目、明確な成果を示す段階にきていた。とりかかった作業のとりあえずのスケジュールの締めでもあった。たぶん、皆、興味というか、ひそかに関心を持ってみているに違いない。新参者の自分の報告は最後であるが、前の方での者がだいぶ追い込まれていた。厳しい状況である。
自分は、どの程度に取り組むか手加減がわからないようなところで、甘えもないまぜになって、日々心が揺れていた。
当初、内容を聞いたことでは、大したことではないとの感じで前の週の後半から実作業に入って、順調に進むかに見えたのだが、どうも思ったところと違うところで条件が出されたようなもので、これで皆、進行が厳しくなってきた。そもそもの目的を進めるよりも前に、そのためのテスト用データを作成するところ、そこにかなりのクリーンさが求められてきたのである。
これで皆、いったん出来たものも見直し、データの作り直しにかかり進捗は逆にマイナスのような状況になっていった。自分も月曜から本格的に進捗を上げようとしていたところを見直しから始めると、それはとても大変なことで、たんにやればいいものでなく、どうしたらいいかを悩んでも解決するものでもなく、有識者に聞いて教えてもらいながら進めるのであるが、とてもそんなだけではうまく進まない。聞いてばかりいては、自分でやっていることになるに難しいし、自分のものにならないし、自分で作業していることにもならないようなものであり。
でもそのうちに、調べる材料の見方とかわかってきて、ある程度自分で調べることが出来るようになってきて、少し状況が変わってきたと思う。
また、問題のポイントがどのような傾向にあるかを見る方法として、自分は独自に分析する手段をとった(EXCELのVBAやピボットを活用して作った)のが、後で思うにかなり効果的だったと思っている。
テスト対象のケースごとにどんな問題ポイントがあるかを横断的に二次元的に分布で見ることができ、それをもとに一つずつ潰していった。
その問題ポイントを調べる方法も、だんだんわかってきた。
実は2年ほど前に千葉の方で関わっていた現場も今と同じエンドユーザーのシステムであることで、やっている部分は違うのであったが、今度の作業のためのテストデータを作成するところは、なんと千葉でやっていたと同じ部分に関して。それは入力データのチェック処理なのであるが、それを出来るだけエラーなしにて通過させることの対処工夫であったのだ。
千葉のときは、そのチェックの処理そのものが開発対象であり、テスト対象であったのが、今回は開発対象ではないのだが、テストを行うためのデータを作るという段階でまったく同じことをしようとしているのである。
なかなか時の経過と、まさかまたこんなところに関わるとも思っていないし、そしてその間には全然違うユーザーのシステムをやるわけで、過去を引きずっているわけにいかず現状に早く入り込まなくてはいけないわけだから、当然に前のことは距離が大きくなり、覚えているようでもかなり忘却のかなたになっているのである。
それでも一度関わり苦労したことなどは記憶のどこかにかすかにはあるもので、自分から出すことはなかなかに難しいが、年齢のこともありだが、それでも言われると少しずつ記憶が蘇ってくることはある。
それとともに千葉のときにもそれで苦労したのであり、そしてそれがいくら苦労しても楽に出来るようになったわけでもない、と言ったことが思い出され、それをまたやらなければならないことにかなりのつらさと嫌さを感じたのでもあった。
言ってみれば、それでも自分は経験者であったのである。(ここで採用になったのも多分にこの経験がものを言ったのであろうことが今になってなお感じられる。他にも自分より有望と思われたものがだめだったのに。)
逆にこの辺りの経験がない他の人(自分より先に現場にいるメンバーにも。経験の状況とかわからないけど。まだそういった会話のレベルにもないし)は、様子からかなり苦労していることも見受けられる。特に進捗で追い込まれている一人は、そういったことではかわいそうなものである。
自分もそれで苦労して、水曜日辺りまで見通しをつけるまでには日を要してしまった。そしてやっと木曜日から本来の消化作業に入ってようなところだった。
その前日の水曜日は、隣りの指導者が問題を調査してくれるとのことに甘えて、そして早く帰ってしまった(それでも20時半)のが気にかかるのであって、それもあるのと、果たしてこんな状況で進捗を厳しく管理するのかとの心配不安もあり、言い訳がましいことにしたくないとも思うわけで、だから場合によっては頑張って頑張れば消化が可能な段階までは道筋をつけておきたいと、木曜日は遅くまで頑張ったのであった。(それでも22時半)
そして金曜日、後は作業を着々と進めればいいような感じもあったのが、なかなか思うようにはいかないもので、ちょっとしたことでやり直しの必要のあるもので出て、それの処置を何とも行ったり来たり慌てたりしてて結局当初実行の結果に戻ったりして落ち着いたのだったが、とんだ道草をしてしまい数時間無駄にして、本日の完了は難しくなった。(とは言うものの、こんな状況であまりうまく行ってしまうのもどうかと思う心もあって、結果としてのことであるが、ほどほどのところか、と思い、17時からの進捗会議に臨んだのである。)
皆、どのように注目していたのかと思うが、厳しい事を考えていただろうと思うけど、ある程度の消化が進んでいて、見通しもあって、月曜日には完了する見込みを話すると、まずまずとの受けの感触を得た。
まずまずの感じで2週目の進捗会議を乗り切った感覚であった。
作業が月曜日にもあることで次週の報告の種にもなるし、もし今週で終わっていて何もしないわけにはいかないから他の新たな作業になると、これまた厳しい状況に追い込まれかねない。(いずれにしても月曜の作業が終了後には新たなことに関わるけどそれはそれ。)
木曜日に遅くまで頑張って、体調も心配になったり、先行きが不安になったり、いろんなことを考えたりしてしまったのだが、ある時点から、考え方を変えるようになってきた。
変に悩んで自滅したら何にもならないことだと。
逃げることを考えるとつらいのだと。
うまく言えないけど、仕事があって没頭できるならいいじゃないかと。逃げずに向かっていくことだと。
自分から進んで解決に向かっていくことだと。
家に帰ってやりたいことはいっぱいある。しかし、それが何だろうと思うようにもなった。これはしばらく家で過ごしてみてそして実際にいろいろやってみての結果からの実感かもしれない。簡単には言えないが、単純な状況でもないから。そして今は突然にこんな状況になっている。そのような不安定な状況での自由時間では出来ることも意味も難しいことを感じているから。
過去には、仕事に精一杯で他のことを出来なかったことがいくつか出来たことには意味があったと思うが、それでも家ですることの意味は価値を認めることは難しいように思っている。
仕事に対する準備としての意味はある。パソコンの習熟を維持し高めて、新聞読んだり、映画みたり、英語勉強したり、いろんなことをしたが、結局これらは、次の仕事のための準備であることでやっと意味価値を持つものではないかと思うようになったのある。
だから今仕事に就いている今こそ、それらを生かすときだし発揮するときだし、その機会があるときは存分に入っていって活躍することではないかと。
(書き始めたらついついいろいろ書いてしまった。これが何になるのかはわからないが、何か考えること、それを表してみること、何かあるのかと思っている。かすかに。後になってからは書けないものである。そのときの気持ちだからこそそんなことが書ける、なんてことだなと実感を持ちながら。だから後で見たら何だ!とのことも意識しながら。しないよりはするほうがいい。)