今思い出した、「就活ノイローゼ」のようだなと

仕事が短期のばかりになっていて、そうなると、また次の仕事を探さなくてはならない。そしてそれが成果に現れるまでにはいろいろなことを乗り越えなければならない。
考えてみるとこれはきついことだ。
その都度、就活をしていることになる。
面談と呼んではいるものの、つまりは面接であり、履歴書とは言わないけれど、スキルシートとか呼ぶ経歴書を出して、良ければ面談に臨み、採否つまり合否となる。
新卒者の就活も大変なことで、人によりだろうが、厳しい人の場合は、先の見通しを案じるあまり心神が狂ってくることもあると言われているし、わかるような気もするし、実際に同じようなことを都度していることを考えると、本当に大変なことをしているのだなと思ってしまったりするのである。
まだ向かう気持ちがあるうちはいいのである。
どちらかと言うと楽しむ気持ちさえある。
そんな試練に向かうことは、場所的にも人的にもそれから業界とか社会的にも、何かに触れられる機会でもあるから。
勉強になることもいっぱいある。
これも自分もたくさん感じてきたことではある。
これはとても貴重なことではあるので、本当はいっぱい書きたいことでもある。
しかし、しかし、である。
それらの経験をしてただ経験で終わってしまうとしたら、何のための経験であって何のためのものだったかがわからなくなるのである。
最後に成果に結びついて、その経験が評価され、価値あるものとして思い出されるのである。
しかりこの成果が出るまでは、いつ出るのかわからない不安定な期間なのである。
この期間で考えられるのは、果たして、・・云々の悲観的はことが、だんだん、だんだんと頭をもたげてくる。
いくら面談をしても、成果に結びつかなければ、それに要する交通費さえもただの出費になってしまうのである。成果が出てこその必要経費と言えるのだが、成果(つまり収入がなければ)がなければ経費なんて意味ないのである。
またそれに要する準備ややりとりに体力と神経を使う。
これが報われないままに終わってしまうと、そして次があるさと思うことができなくなると、心的には苦しいものになってくる。
自分がそうだな。
だからそんな状況や気持ちが痛く理解できる。
この先、果たして成果につながるような行動になるのだろうかと。
仕事は昨年末を区切りに終わっていて、先月1月の終わりころにひとつ案件で面談まで行ったのが結果NGで、そのときも心身にいろいろ負担を感じていた。
そしてまた話が出てきたけど、今度は年齢条件のことに絡むことになり、また変な話もなったりで気持ちの負担はなお重くなってきているようでもあり。
そんなこんなを考えたりである。