津波予想報道にいらいら

マスメディアを使った災害予防の報道は重要な役目のあることは理解はするが、報道の内容についてどうもいらいらさせられる。
先の新型インフルの報道もそうだし、その前の世界不況をあおるような報道もそうだし、どうもいやなものになっている気がしてならない。

うまく表現は出来ないので言ってもしょうがないこともあり、それに比べて、好き勝手なことを、一応受けのいいことを、何度もただ繰り返しているのを見ていると、何かおかしくないかいと言いたい。

先ほど、鳩山首相までテレビに顔を出してきた。
まじめくさって、人をおどろかすように話しているのは滑稽なものだけだ。
こんな予報にのって相乗りでつまらないことを言うより、もっとまじめに政治をやれ、と言いたい。
民主党には何とか期待をつなげるようなものでいて欲しいと思っているのだが、何とも頼りなくなっているし、おまけにこんなときに得意がっているような顔をみると幻滅だ。
先行きを示している気もしてきてしまう。

気象庁の判断を伝えるのはひとつの大事な役目ではあるが、その後がなってない。
気象庁だって神様ではないのだから、地震だってそうだろう、自然現象は単純には予測なんか出来ないのだ。それでもみんなの指針となるべきものを出してくる義務はある。
それを絶対真実というのではなく現状最善の情報として扱うものだろう。
何も分からない状態ではこれが頼りだが、徐々に結果が見えてくるのだから、それに応じて情報の正確性を修正していくものであろう。

まるで保険のセールスが宗教の勧誘みたいに、こうなるかも知れない、とかばかりを吹聴し、但し書きとして必ずつけることが、「必ずしも」とか「そうとは限らないが」とかで逃げの態勢も作っておきながら、わざわざどこかの権威のようなゲストまで出演させて何度も何度も繰り返す。
これに応じるように鉄道も運転見合わせなどを行う。

こういうとただの反発に見えてしまう。だから何もいえないのだが、それをいいことにして変な権威だけが横行しているように見える。
個人では出来ないことだから、社会の基盤としてそういったことが予測可能となるように気象庁とかがあるわけで、その結果を社会に利用して災害を軽減することを行うのである。
もっと現実に即したような運用をするべきなのだ。
職務がらと責任逃れに走るのは結局は信用をなくすことになる。

近年は、インドネシア津波とか、自然を甘くみていると大変なことになることのいましめは必要だが、それも大げさにばかりしていると、また見方があまくなることになる。
情報に従わされるだけの社会になるのも気がかりだ。