土曜の休日、朝お出かけしてきた

普段と同じように起き、普段と同じ時間の電車に乗った。
実際には隣駅までで折り返して帰ってきた。
今はコタツでくつろいでいたところ。
家のPCからの書込みもしてみようかと思った。
8:55
さて何を書こうか。
いざ向かってもどうしたものか。
題名を何にするのか、意外と難しい。
時には題名を書かずに本文から書いてみたことがあったけど、これは後からは題名を付けにくいことを感じた。
要するに何をテーマとしているかが、あいまいなままに書き始めてしまうため、それはそれで自由と言ういいところはあるのだが、ポイントがぼけてしまい、題名を考えるときにあれもこれも、になってしまうようである。
その点、とにかく題名を決めてしまえば、それから外れたものを書くにしてもどこかでそれを意識しているし、何らかの補助的表現も出るだろうし、主題の存在は守れるものである。
今も題名と本文の内容が離れているようではある。
とか書きながら題名を思いなおしてみる、と言うことだ。
そして外れたまま適当に書くか、これは後で別テーマとして書くか、を判断していくものであるようだ。

さて、やはりまとまらない。
9:02
もう7分も過ぎた。
その時間でのこの書き分量はどのようなものであるだろうか。
携帯電話での入力に比べればかなり多いだろうと思うが、PCでも結構入力ミスもあり、打ち直しがある。
そうすると思ったほどには早くないのかも知れない。
正確に早く打つ、技量も必要である。
それからもっと大事なのは、入力技量だけでなく、思考能力だろう。
それも片方だけでなく、両方を同時に行うことだ。
考えて打つ、考えながら打つ、同時に行う、これを素早く行う。
話すことも同じだろう。
ペンで紙に書くことも同じだ。
スピードも大事だ。最近、年のせいだろうが、特に感じる。
若者のスピードに感じてしまう。
自分の若いときはどうだったのだろう。
確かに年齢のせいもあるだろうが、時代も違うのかもしれない。
特にコンピュータに関して言えば、キーボードの入力という第一の関門があって、昔はこれのスペシャリストがいて、キーパンチャーと言っていた、これ以外の人はキー入力など出来なくてよかった時代だった。
それから時代は少しずつ変わり、一本指での入力から、パソコン普及で、皆がキーボード操作をするようになり、そのためのソフト、タイピング練習のものも結構ある。
これを若いときから身に付けたものは、あまり意識しなくても指が勝手に動くようなものになるのかもしれない。
ゲームの関連もあると思う。
自分も昔はゲームとかやったが、今のものとは比べ物にならないだろう。
それに年齢での衰えもあれば、やはりだいぶ違うものがあるだろう。

でも負けたくない。
年にはそれなりの身に付けたものもあるはずだし、トータルとして考えるべきものとも思う。
しかし、スピードも重要だ。
やはり訓練、鍛錬、だ。
読むこと、話すこと、書くこと、打つこと、早いほうがいい。
9:16