武蔵野線トンネルは自分を見つめる鏡

努力するにも条件に恵まれることがあるが、本当は自身の心と意識だろう。
努力する意識が弱くては出来ないし続かないし。
それより増して、普段の心が豊かであれば、自然に仕種や表情に現れるもの。
それが身につくのが一番なのは当然の理である。

しかしながら、それが失われている状況においては何かきっかけも必要である。

せめて通勤のどうしようもないような時間を利用して努力しようと思う。

と考えながら立ってこれを打ち込んでいたら、前の席が空いてしまった。
座ってしまった。仕方なく。
これでトンネルになっても鏡には使えない。

まあ、仕方ない。
では心の鏡を使おう。